こんにちは、おっちょです。
ここ数日、寒さがぶり返してきましたね。
一昨日から風邪気味で、昨日までくしゃみと鼻水が止まりませんでした。
でも今はだいぶ良くなってきました。
季節の変わり目は気をつけたいですね😞
さてみなさん、いきなりですが
現代社会はここ数年で目覚ましい発展を
遂げてきたことを実感できていますでしょうか?
情報技術しかり、科学技術しかり。
カラーテレビが普及し始めた1960年代から現在までの約60年という短い期間で、
社会はあらゆる面で凄まじい進化を遂げてきました。
この進化の具合は僕らの親世代なら身を以て実感できているのではないでしょうか?
カラーテレビからVRですよ?仮想通貨ですよ?人工知能ですよ?
どんだけ右肩上がりな急成長してきたのって感じです。
ここまで便利な世の中になったのは、
子どもの頃からの夢を実現させようと、
または世の中のニーズに応えようと飽くなき探究心を持った技術者のおかげです。
彼らの努力があったからこそ、僕らは便利にそして快適に生活を送れてることを理解しなければなりません。
しかしその便利さの反面、
世の中は物で溢れかえってしまったということは否めません。
と言うのも、今では指先一つで物が自分のところ届きます。
欲しいと思えばすぐに手に入る、そんな時代です。
その利便性は、人間の欲望を必要以上にエスカレートさせてしまったように思います。
みなさんの家、「要らない」物で溢れていませんか?
長々書いてきましたが
まぁ何が言いたいかというと、
「必要」と「欲しい」を区別しようってことです(笑)
というわけで、今回の記事はタイトルの通りです💡
「必要」と「欲しい」の違い
同じようで異なる意味のこの二つ。
まずは両者の定義から見ていきましょう。
「必要」とは
[名・形動]なくてはならないこと。どうしてもしなければならないこと。また、そのさま。「それほど急ぐ
必要 はない」「必要 に迫られて買う」「生活に必要 な(の)品々」引用元:コトバンク
「欲しい」とは
[形][文]ほ・し[シク]
1 自分のものにしたい。手に入れたい。「果物が―・い」「返事が―・い」
2 あることが望ましい。「政府の対応に柔軟さが―・い」
3 (「…てほしい」の形で)そうしてもらいたい。「見せて―・い」「無事でいて―・い」
[派生]ほしがる[動ラ五]ほしげ[形動]ほしさ[名]引用元:コトバンク
二つの違いは?
ざっくりまとめてみると、
必要は、なくてはならないこと
欲しいは、あることが望ましいこと
言い換えると、
必要は、なくてはダメ
だけど
欲しいは、なくても大丈夫
なんです。
混同させると物は増え、お金が減る
言葉の意味としては理解できると思いますが、
果たしてこの二つをはっきり自分の心の中で区別して
行動できていますでしょうか?
自分の中で物に対しての位置づけが曖昧だと
物はどんどん溜まっていき、お金はどんどん減っていきます。
そりゃあ人間なので欲しいという感情が出てくるのは当たり前です。
ミニマリズムを目指している僕だって、
空気清浄機も欲しいし、ルンバも欲しいし、アップルウォッチも欲しいです。
でも、それらは「欲しい」であって「必要」ではないんです。
今僕が持っているものが全て「必要」なものかと言ったらそうではないかもしれませんが、ある程度は自制できているかなと思ってます。
それに「欲しい」という感情は厄介で、
満たされることはありません。
ある物への「欲しい」が達成されたら、
次にまたある物へ「欲しい」という感情が移ります。
どこかで自分の気持ちをセーブしないとどこまででも行ってしまいしまいます。
貧乏人の家ほど物が多いと言いますが、
まさに上に書いたことが原因です。
物をしっかり管理できていない証拠です。
対して裕福な家ほどスッキリしている印象はないですか?
そういう人は物をしっかり管理できているはずです。
終わりに
今みなさんが買いたいと思っている、または気になっている物は
「必要」なものですか?
「〜たい」という時点でそれはもう願望なので
「欲しい」ということになってしまいそうですが、
今一度その「必要性」を考えてみると、いい発見が得られるかもしれません。
もちろん、無くてはならない物以外は買うなというわけではありません。
物に対する欲求が、どういう理由があってかを考え、
そして仮に手に入れたとしてその後のことを具体的にイメージしてみると
必要かそうじゃないかがはっきりしてくるかもしれません。
それでは今回はこの辺で👋